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行方不明者捜索(特殊事例の人物捜索)

事例3 50年前に別れた恋人を捜して欲しい

依頼人
T氏 78歳
捜索対象者
50年前に親の反対で別れた恋人・B子さん(75歳)
捜索情報
 当時の資料が全くなく、彼女の住んでいた住所も記憶から既に消え去っている。
 記憶の断片から、まとめてみると下記の三点に集約された。
  1. 彼女の家は高松市三条町付近で、大きな川が合流する所から、上手へ、500m位にある酒屋さんの真裏にあった。
  2. 近くの橋を渡ったところに大きなお寺があり、境内にある三本の巨木が見事だった。
  3. 琴電の駅から歩いて20分位で彼女の家に着いた。
捜索中の追加情報
 一年前に他の探偵社で調査してもらったが、二ヶ月経っても見つからんという事で、首にした。
 その時に「当時の酒屋さんは見つけたが、B子さんの行方は解らないとの事であった。 但し、風の便りで、誰だったか忘れたが、B子さん親子が事故に巻き込まれて亡くなったという話を聞いた。」というような事を言っていたが嘘か真実か分らんので伝えなかった。
※他社で一度調査した案件であると聞いて新たな闘志がわいてきました。
調査手法
(後で詳細記述)
捜索期間
特殊情報調査 3日間
第一次現地調査 7日間
第二次現地調査 3日間
捜索人員
2名
契約内容
基本調査料 30万円 (発見率を50%~80%としA難度とした)
※本来は単純な人捜し「今も心に残るあの人」での
調査であるが、50年以上も前の事であり、
極端に手がかりが少ない為に行方不明者捜索での
請負契約となりました。
経費実費 18万円 高松宿泊費(4300×10泊×2名)86,000円
高松交通費(高速道・ガソリン代×2往復)82,000円
高松雑費・その他 12,000円
成功報酬 50万円  
4万円
費用合計 102万円
調査概要
 私たちが受ける行方捜しの依頼で比較的成功率の高いのが、昔の恩人や恋人を捜して欲しいというケースです。
(中には、気安く引き受けたものの、途中でまったく手がかりが途切れてしまう事もありますが…)
 今回は、昔の恋人の行方捜しのケースを紹介します。
 もう80歳に手が届くかと思われるものの、はつらつとして元気いっぱいのTさんからの依頼は次のようなものでした。
「今から50年前の昭和30年4月、結婚を誓い合った女性がいました。
 親の反対でどうしても結婚することが出来なくなり、高松市の栗林公園で泣く泣く涙の別れをしました。
 それ以来、今日まで一度の音信もなく時が経ってしまいました。
 私はその後、親の薦める縁談で結婚しましたが、その妻を一昨年9月に亡くしました。
 子どもたちも全員成長して家庭を持ち、一人暮らしとなってからは、日々彼女への思いが募るばかりです。
 50年も経ってから、いまさら何を!とお叱りを受けることも覚悟の上で、もし彼女が今も、ご主人ともども元気で居られるならばそれでよし。
 でも、私同様に連れ合いを亡くし一人身で居られるならば、今一度再会を果たし、遅ればせながら残りわずかな人生を共にし、語り合いたいのです。
 また、不幸にして、彼女も先立って居られたなら、墓所を探し出してほしい。
 何としても墓前に参り、気持ちに区切りをつけたいと思います」
 以上Tさんの話を要約しましたが、話は2時間近くに及びました。
 Tさんの話は、彼女(以下B子さんとします)との出会いから始まり、昭和20年代後半の暮らしぶりなど、話があちらこちらに飛んでいきました。
 何度も脱線しながらも語るTさんの思い出話を、私も根気よく聞いていました。
 さて、Tさんの話も終わり、B子さんを捜す有力な手掛かりは、結局次の3点でした。
  1. B子さんの家は高松市の三条町で、大きな川が合流するところより、500mくらい上がったところにある酒屋さんの裏手にあった。
  2. 近くの橋を渡ったところに大きなお寺があり、3本の巨木が見事だった。
  3. 琴電の駅から歩いて20分くらいのところにB子さんの家があった。
 何となく心許ない手掛かりではありましたが、Tさんの若かりしころは、戦後間もない時代であり、2人の男女が家の近所で語り合うなど、田舎町ではすぐに噂になってしまうので、少しでも2人が語り合える場所として、いつも栗林公園内での逢瀬を楽しんでいたそうです。
 ですから、B子さんの家へは、一度だけ送っていったときの記憶が残っているだけでしたが、それも仕方のないことでした。
 B子さんからの手紙や写真も、Tさんが結婚したときに全部焼却してしまったとのことで、結局手掛かりは前述した3点しかない状況でした。
 話が一段落するとTさんは高松市の真新しい市街図を広げ、次に指で示した所には確かに大きな川が合流しており、琴電三条駅がありました。
 Tさんの指はそこから歩いて20分位の所をなぞっていき、『多分、この辺だと思う』Tさんは力強く断言されました。
 これなら、かなり楽にB子さんを見つけることが出来るのでは…という雰囲気の中で、Tさんの依頼を受けることになりました。
 Tさんの依頼を受けると私たちは地図上や電話帳で、高松市内でのB子さんの情報に関して下調べを行い、早速高松市へ向かう事にしました。
 Tさんの覚えていた手掛かりの中で「近くに大きなお寺があった」という点に関して、下調べの段階で、地図上にそのお寺の存在が見つけられなかったのですが、何しろ50年も昔のことです。
 長い年月の間に寺が移転する事もあるのかもしれないと考え、特段大きな疑念を持つ事もなく、そのまま調査に着手したのですが、この事がこの後に陥る大変な状況の伏線となっていたのです。
 高松における現地調査ではTさんのかすかな記憶を頼りに琴電三条駅へと向かい、「酒屋」「B子さんの家」をキーワードに、手掛かりの一つである「大きな川」と思われる御坊川の合流地点を中心に徹底した聞き込み調査を行いました。
 すぐにでも何らかの具体的な手掛かりが見つかるだろうとたかをくくっていた私たちでしたが、B子さんにつながる手掛かりは一向につかめず、琴電三条駅を基点に調査範囲を四倍まで拡大して調査を続行したものの、結果は該当する情報は0という厳しい状況に行き当たってしまいました。
 念のため、高松市の河川を担当する部署で、この50年の間に河川の流れを変えるような大掛かりな工事が行われていないかどうか確認しましたが、『新しい水路を造る事はあっても、合流している河川を埋めたてるような馬鹿げた工事などできる訳がない』と笑われてしまう有様でした。
 こうしたことから再度Tさんに当時の状況、手掛かりを確認しましたが、Tさんからは『大きな川が合流していたこと、琴電三条駅から歩いて20分くらいの場所に酒屋があり、その裏手にB子さんの家があったことは、絶対に間違いのない事実である』と逆にお叱りを受ける始末でした。
 このため、私たちはこの土地に古くからある商店や地域の老人会の世話人などを訪ねて聞き込みを行うことにしました。
 B子さんを捜している事情を、ある程度お話しするとほとんどの方がまるで自分のことのようにとても親身に、昔のことを話してくださいました。
 ある方は、同年輩の友人たちに電話をかけて尋ねてくださるほど、一生懸命になって探してくださいました。
 しかし、それら全ての努力・好意も空しく、結局は『昔からこの辺にそんな家は無かった』という答えに落ち着いてしまいました。
 そして、みなさん口を揃えて、『この辺りは古くからしっとるで、どこか他(の場所)と間違っとるんやないかねぇ』と言われるのです。
 行き詰まった私たちは高松での調査を一旦打ち切り、広島に帰広。調査状況や調査エリア内で得られた情報を基に再度検討してみました。
  1. 戦前から商いをしている酒屋さんの情報で、廃業した酒屋を含め、他の酒屋についても全て調べたが該当するものはない。
  2. 三条町周辺には旧家も多く、この地域での該当が無いという事は調査場所自体が間違っている可能性が高い。
  3. Tさんの記憶に混乱があるとすれば調査エリア内での該当情報無しという結果が裏付けられる。
 私たちの結論は、「Tさんの記憶に混乱があり、調査エリアが誤っている可能性が高い」となりました。
 このため、高松市の市街地図を基にこれまでの先入観を無くして「大きな川が合流している」「鉄道の駅が近くにある」というキーワードで地域を検討してみたところ、新たに3カ所がその条件に適合していました。
 その中に、鉄道の駅名は異なっているものの六条町という場所がありました。
 蓋を開けてみると、Tさんは駅名を覚えていたのではなく、京都風の○○条町という形で名称を記憶されていて、調査着手前にTさん自らが地図で調査地域を特定する際、地図で三条町・琴電三条駅という地名を目にして、ご自分の記憶にある「琴電の駅」「大きな川の合流点」というキーワードに符合していたため、目指す場所は三条町で間違いないという風に錯覚してしまっていたのです。
 しかし、これはよくあることで、Tさんを責めることはできませんでした。
 一週間後、私達は再び高松へと向かいました。
 今度は六条町方面で聞き込みを行ったところ、あっさりと、件の酒屋が判明し、当時のB子さんの家も判明しました。
 残念ながらB子さんは、TさんがB子さんと別れた数年後に坂出の方へ転居されていました。
 しかし、B子さんと親しくしていたという方が見つかり、その方から『B子さんは結婚して松山の方へ移り住んでいたが、ご主人を亡くし、子供がいなかった事で婚家を追われてしまった。その頃までは手紙のやり取りをしていたが、それ以降は高松に戻られたという事ぐらいしかわからない』という情報を得、その情報を基に次の調査へと移行しました。
 B子さんが現在70歳後半という高齢である事から病院に通院している可能性が高いと判断し、老人ホームやケアセンター、大病院という順で調べていったところ、市民病院の外来で来られていたF子さんから待望の情報が得られました。
 F子さんの家のすぐ近くにあるアパートにお年寄りの女性3名が一緒に住んでおり、その中の1人がB子さんと同姓同名であり、また背格好もほぼ同じであるというのです。
 調査員はすぐにB子さんの家を訪ねました。
 応対に現れたB子さんは80歳近いとは思えないほどお元気な様子でした。
 調査員がTさんの近況とご依頼の内容を話し始めるとB子さんの目から大粒の涙が溢れ、思わず調査員も目頭を熱くしました。
 B子さんの話によると、B子さんはTさんと別れた2年後に見合い結婚をしたものの、夫は酒が入ると人が変わったようになり、B子さんはそれでずいぶんと苦労をされたそうで、ある時B子さんは夫にお腹をひどく蹴られて病院へ担ぎ込まれ、それが元で子供が出来ない身体になられたそうです。
 その夫とは丁度20年連れ添われたそうですが、52歳の若さで亡くなられたとの事でした。
 その後B子さんは婚家を出ることになり、高松に戻ってからは病院のまかない婦の仕事で何とか生活をしてこられたそうです。
 B子さんの思い出話を聞き終えた調査員は、B子さんに伝えました。
 TさんがB子さんに会いたいという想いを募らせて我々に行方捜しを依頼された事、貴女を探し出して無事元気でおられる事がわかった時は、自分の近況を伝えた上で『是非一度お会いしたい旨、必ず、必ず、伝えてほしい』と頼まれていた事を。
 その言葉を聞いたB子さんは静かに、しかし力強くおっしゃいました。
『私にとってTさんは大切な大切な思い出です。
 Tさんの今の言葉は私には夢のようです。
 できるものならば昔に戻りたいという想いがある半面、時間が経って年齢を重ねた今の私の姿をTさんに見せたくはないという思いのほうが強いのです。
 今日は突然の事で取り乱してしまい恥ずかしく思いますが、我に返ってみると思い出は思い出のままにしておいた方が良いと思います』
(実際のB子さんの語り口とは若干違うところもあるでしょうが、言葉は一部の違いもなく記述できていると思います)。
 その後、調査員は、B子さんからTさんとのさまざまな思い出話を繰り返し伺い、2~3時間後、漸くB子さんにTさんへの手紙を書いていただき、それを調査員が持ち帰ってTさんに渡す事を承諾していただきました。
 それはB子さんを見つけた証であるとともに、この上ないTさんへの贈り物となりました。
 Tさんには、直接お会いするまでB子さん発見の事は伏せておきましたので、B子さんを探し出したと聞くなり、B子さん同様Tさんも、大粒の涙をこぼされ、絶句されてしまいました。
 Tさんの気持ちが落ち着いたころ、B子さんからの手紙を渡しました。
 Tさんは手元を震わせながら何度も何度も繰り返し読み返しておられました。
 読み終えてからしばし、じーっと瞑想されていたTさんはおもむろに調査員へその手紙を見せてくださいました。
 その手紙には次のように記されてありました。
『今日のようにこんな嬉しい日はこの何十年ありませんでした。
 Tさんの事は大切な私の宝物のような思い出です。
 すぐにお会いしたいという気持ちより、老醜を晒す事が恥ずかしく思いとどまりました。
 この先何年生きられるかわかりませんが、気持ちだけは別れたあの日以前に戻したいと思います。
 再びお会いできる決心がつくまで、手紙で昔のTさんと私に戻ってお付き合いを深めたいのです』
 それから半年後、Tさんは高松へと旅立たれました。
 今ごろは、50年前の青春を再び取り戻されているのでしょうか。